「着る物」と書いて「きもの」 読んで字のごとくシンプルなきもの 民族衣装とか伝統文化とか そんな大袈裟に考えず普段に着ると 結構、楽にお洒落ができます
夏祭りや夏宵の観劇に「ゆかた」、 冬の外出、パーティー、歌舞伎やコンサートに「羽織のアンサンブル」…私がきものを着るようになってハヤ四、五年が経ちます。 きっかけは古着で、洋服に比べ、マイナーなきものは嘘のように安い値段で買うことができました。「こんな値段ならものは試しに買ってみよう」とゆかたと角帯を求め、帯結びなどを色々と研究して着てみると、これがなかなか簡単に、楽に、寛いで着ていることができます。それでいて帯を締めることによってピンと背筋が伸びる「楽 かつ 気の引き締まる」という、実に素敵なものであることが判り、それから私はこの最先端のモードと真逆のファッションの虜になってしまいました。 常日ごろ、仕事や買い物にきもので出掛けるというのは流石にトンチキなので、シチュエイションは選びますが、それはどんなお洒落・盛装でも当たり前のことですね。 私はきもののマッチするシチュエイションはスーツがマッチする場面とほぼ「=(イコール)」だと思っています(もちろん、会社などの不自由なオフィシャルの場はダメでしょうが)。 スーツで洒落るには生地や仕立て、シャツ、タイ、カフス、靴にまで細々と気を配らねばなりませんが、きものの場合はよほど丈の短いものでない限り、帯下でジャスト・サイズに調整できますし、きものと帯とはきものの三点だけで「かっちり」とも「ゆったり」とも、その場での心構えを身体に表わすことが可能です。 洋装の盛装だと、英国人のように、祖父の代からの服を仕立て直して恰好良いビンテージとして着こなしたりしない限り、「幾ら着る物にお金をかけるか」ということが、やはりどうしても大前提になってしまいます(ファッション・センスがよほどよければ別 でしょうが)。 しかし、きものの場合は帯とはきもの、羽織紐だけ上等のものをつけるようにさえ心掛ければ、それほどお金をかけずに、結構「キマリ」ます。 あとは以下にこっそりお教えする二つのポイントだけ押さえれば、とても凛々しく、かつ個性的な盛装をすることが可能です。
さてと、能書きがちょっと大袈裟になってしまったかもしれません(-_-;)。 ここに書くのは、実は本当にシンプルで基本的な、当たり前な注意点でしかありません。 きものの着方や帯の結び方といったテクニック以前の(それらは本や専門のサイトで研究して下さい。ネットでも充分、詳しく学べます)、実際にきものを着てきた私が「ここがポイントだな」と直感した要点です。 当たり前のように言われることなので、往々にして枕詞のように聞き逃され勝ちなことですが、どんなテクニックよりも、以下の事が、実は最大事だと私は思います。
テク 1 「着こなし術」の第一のテクニック、それは「着こなし」=「経験値」=「着慣れる」ということ。 きものは簡単と言っても、私たちが普段来ている上下セパレートになった貫頭衣の洋服とは、やはり根本的に違うものです。 手足をぴったりラッピングしているような洋服とは違って、きものは腕の下に袖が垂れ、下前と上前が二本の足をまとめて包み、胸元を留めるボタンもありません。そして、動きに応じて徐々に着崩れてきます。 どのように手を伸ばせば袖がコップを倒さないか、どのように歩けば裾が開かずにすむか、どのような動きでどこがどれくらい着崩れるか、また、それをどのくらいの頻度で直してあげれば着姿をきれいに保てるか(ツツキ過ぎるとよけいに着崩れたり、見苦しくなったりします)、そのようなことは、実際にきものを着て色々と動いてみないことには絶対につかめない感覚です。 頭で考えれば当然すぎるほど当然のことなのですが、これは本当に大事なことなのです。私自身、慣れたればこそ、今ではさほど意識せずにきものを着て自然に動くことができますが、まだ慣れぬ ころを思い返せば、動きを意識し過ぎて不自然であったり、崩れを気にして過剰に襟を引っ張ったり、外出時にちよっと気恥ずかしかったりと、まだまだきものが「特別 なもの」だったように記憶します。 着慣れることによって「特別ではないもの」にすることが出来て初めて、きものはカッコイイ。「特別 」である間は着物での外出がまるでコスプレのように思えて、自分自身気恥ずかしく、それが周りにも伝わって、「むつかし((c) 清少納言)」となります。 大事なお出かけやイベントのために、大切にきものをタンスに仕舞っておいては、大事な本番が体さばきの練習になってしまいます。 そうならないためにも、ちよっとしたイベントにも少しづつきもので出掛けるようにしては如何でしょう? 最後に、お出かけよりも以前に着慣れておくとっておきのウラワザ。 それはゆかたを部屋着に取り入れることです。 これは本当に着慣れます。それに、トレーナーやジャージよりも本当はずいぶん体が楽ですし、その上気分がだらけずにいらて、私はこれ以上イイ家着はないと思います。 ふいの来客に「ご病気ですか?」と言われてしまうこともありますが…(笑)。
テク 2 プロの技を盗むべし。ただし、キメポーズは使わないこと。 我流でジタバタしているだけでは泳ぎが上手くならないように、きものにも、やはりそれなりの先達が必要です。 さりとて、なにもきもの教室・きもの学校に通わなければならないということはありません。時代劇や歌舞伎、きものを着て美しく見せるプロの動き・所作を観察すればよいのです。 特に生の歌舞伎は効果覿面です。舞台衣装とはいえ、常にきものを着て動き、それを見せるプロですから、その姿はこれ以上ないきものの生きたお手本と言えるでしょう。演目によってはきものを着たり脱いだり、帯を締めたりする姿を見ることも出来ますので、観察の興味は尽きません。 ただし、注意すべきは「キメポーズ」は参考にしてはならないということです。 これまた当然のことですが、「キメポーズ」は明らかに自然な動きを誇張、非日常的に美化したものですから、これを我々が使ってしまうとそれこそコスプレ、田舎歌舞伎の大根役者になってしまいます。 では、どこを観察し、参考にすればよいかというと、「キメポーズ」から「キメポーズ」に移行する間の「見せ場ではない」一連の静止画こそが、実はきものを着る者にとって一番の見どころ、宝の山なのです。 日本の伝統舞踊・芝居は、西洋のそれが「動き」を見せるのとは対蹠的に、 美しい姿の静止画が連続したような「静の一瞬のつらなり」であると言えます。美しい一瞬が、その前後に絶え間なく伸びていて、その最も美しい「静」のピークの姿がキメポーズ(=見得)です。見得の瞬間、役者たちは一切の動きを止めて、舞台は一枚の絵となるのです。 見得には伝統的に確立された「型」があり、見得の瞬間、役者はその見えない鋳型に自分の肉体をピッタリとはめ込みます。 しかし、その「型」から「型」への間、濃度の薄い美の瞬間には、役者は鋳型に姿を似せるのではなく、自らの美意識で培った、合理的な自然な動きを見せてくれます。…ちょっとした裾のあげ方、ちょっとした手の添え方、品のある座り方、階段の上がり方。 もしきものを着るのならば、そういった役者のちょっとした所作は大いに参考となります。 見得は芝居の見どころ、それ以外は所作の観察のしどころ、大根の葉っぱまでも無駄 なく使うような、とってもイイ方法でしょ?
英語長文の学習法で、一つの長文を速読・精読二つの方法で読み、素早く大ざっぱに全体を把握する力、一文一文を正確に把握する力をそれぞれ培うことによって、両極端から「素早く正確に把握する力」を目指すという方法があります。 それと同じ様に「テク 1」「テク 2」を両方面から互いに補強しあうことが大切だと、私は思います。 家で着慣れ、外で美しい手本を観て、最終的には「外で美しく着こなす」ことを目指しましょう。 きものを着慣れたオバサマ達が 闊歩する歌舞伎座に、何の気負いもなく、カッコ良くきものを着こなして出掛けられるようになれれば、河上流免許皆伝といたします(笑)。