第二場
時 前場と同じ
場 敏達の宮、大后の間
竹田皇子、大后額田部炊屋妃、蘇我馬子
−意気消沈している炊屋妃、その傍らに竹田皇子、馬子は少し離れて遠くを眺めている
竹田 母上、どうか元気を取り戻して下さい。
顔光を曇らせる愁眉を払い、
いつもの母上の綺羅綺羅しき麗願を、どうか取り戻して下さい。
そのように弱々しく肩をお落としにならず、
どんなことでも己が意志を貫くいつもの力を、どうか取り戻して下さい。
父王は亡くなってしまった、それは最早どうしようもないこと。
御仏の教えにあまり触れられなかった父王は、
今ごろ仏の国にて御仏の教えに浴す悦びを得、
きっと今更ながらに喜んで居られることでしょう。
その父上の幸福を、母上、一緒に喜び、耐えましょう。
さあ母上、お顔をお上げ下さい。
齢十四とはいえ、私は母上の長子。
尊き大王と、その最も尊き妃の子。
父王が仏の国に一足先に参られた今、力足らずも、
何としても、私は母上をお守りいたしますから、
さあ、母上、どうかお顔をお上げ下さい。
炊屋妃 ああ、優しき我が子。お前の言葉、私は何より頼もしく思います。
しかし皇子よ、私とて大王の死を徒に悲しみ続けているのではないのです。
私が憂うは、父王を亡くし孤児となった、お前たち皇子、皇女たちの将来のこと。
竹田 母上、私はそんなに頼りのない子ですか。
炊屋妃 いいえ、お前は立派な皇子。
知恵も力も十分にあり、明るく、優しき、
父王の後を継ぐに相応しい立派な皇子。
お前の資質に、私はこれっぽちも不安はない。
私が心配するは、
尊き正統の権利を持つお前が、他の下賎な皇子たちに邪魔立てされず、
順当に父王の後を継げるかどうかということなのです。
竹田 母上、御心配なく。
私は母上のため、まだ幼き妹たちのため、
必ずや大王になってみせます。
強き母上の力と、私の血筋と、私の能力と、
母上の郷の蘇我の後盾をもってすれば、
たとえ父なくとも、私はきっと大王になれましょう。
私は絶対に大王となり、先の大王の后にして今の大王の母という、
女人にして最も高き地位に、母上を御就けすることを約束しましょう。
炊屋妃 ああ、頼もしくも優しい、最愛の我が子。
母もお前を大王位に就けるため、有らん限りの力を振るいましょう。
お前の望みを叶えるため、早速私は大臣と相談をすることにいたしましょう。
大臣が先からそこで御待ちの様子、さあお前、
そろそろ席を外し、先の大王の正統の皇子として、
偉大なる大王様の亡骸を、三輪君たちとともにお守りしていらっしゃい。
竹田 わかりました、母上。
竹田皇子退場
炊屋妃 大臣殿、お待たせしました。
さあ、近くにいらして。
大臣といえど絆深き叔父上なれば、さあ、御遠慮なく。
−馬子、炊屋妃の方へ歩み寄る
馬子 涙の乾かぬうちに政の務めを果たさねばならぬは、我等責任ある者の悲しき運命。
亡き大王の遺徳を称えつつ、大王の伝承され、そして残された、大王家の尊き皇統を
もっとも正しき後継へと伝えるため、涙拭きつつ、嗚咽堪えつ、大后様、我等の務めを果たしましょう。
炊屋妃 ええ大臣殿、
大后と大臣として、悲しみのうちにも果たさねばならぬつとめを、
涙堪えて果たしましょう。
(しばらく間を置いたあと、同時に)
炊屋妃 さて大臣…
馬子 さて大后様…
炊屋妃 お先にどうぞ、大臣。
馬子 口の端に上せんとした心の内は、大后様も私も恐らく同じ。
さらば、私めが言の葉を発する労を承りましょう。
よろしいかな。
炊屋妃 ええ。
馬子 では。
残念なことに大王は、見るも堪えぬほどの苦悶の内に身罷られました。
体が焼けるようだと喚き続け、身を掻きむしり、
まるで水に沈められた者のように息苦しそうに、
苦悶の内に大王は身罷られました。
その様は何かに似ていると、恐らく皆は思って居りまする。
宮の内には「半年前に大王のなされたことが、大王の身に逆凪いで来たのだ」と、
畏れ多くも、噂する者すら居りまする。
物部守屋と、中臣勝海をして半年前に大王の為さったこと。
大野丘の仏殿、仏塔を焼き打ち、
御仏の像を難波の堀江に流されたこと。
大王の死に様は、あまりにそれと似通っておられる。
炊屋妃 ああ、大臣。それは言ってくれますな。
私は熱心に御仏の教えを信ずる者。
韓国より父上に献ぜられた仏法を、私は心より敬い、
竹田をはじめ我が子らも悉く深く仏法に帰依しています。
我が一家で仏法を信ぜぬは我が君唯一人のみ。
それも、我等蘇我の皇子、皇女たちとは違って、
自分が息長氏系の石姫の子であるからという、疎外感、ひがみからの愚かな反発。
仏法に関してのみならず、息長氏系の広姫を娶って、
蘇我の血の混じらぬ押坂彦人皇子を産ませるなど、
あの方の愚かな反発に、私は久しく心悩ませ続けてきたのです。
馬子 大后様や御子たちの信心の深さは、この大臣が一番よく存じ上げて居りまする。
それに私は何も、大王の過ちを今更責立てているのではありません。
残念ながら仏罰に薨ぜられた大王の来世を思い、
天孫にして餓鬼、畜生、羅刹の類に身を落とされぬようにと心より念じ、
また、かかる過ちが二度と繰り返されぬようにと、
私はこれからの政について心巡らせているだけなのです。
炊屋妃 大臣よ、我が君の来世を安んじ、
これからの政を二度と過たぬその道、
あなたの胸の内には、きっと道標が出来上がっているはず。
もうすぐ始まる朝議の前、
そっと私に教えては下さらぬか。
馬子 お教えするほどのことは何もあらねど、
大后様の御心の内を、二つばかり御確認したきことが御座います。
炊屋妃 何であろう。大臣の問ならば何でも答えましょうぞ。
馬子 有り難き御言葉。では先ず、身罷られた大王の亡骸について。
大王の亡骸を安置する殯宮の造営、これこそ大王の死後最初にせねばならぬ政。
これの造営、警護を、大后様は誰に命ずるおつもりでしょうか。
炊屋妃 大后といえど一女人、私にはそれを命ずる権限はありませぬ。
しかしかかる名誉の仕事、もし大臣家が一人でなさりたいというのなら、
私はその望みを推しましょう。
馬子 いえ、大后様。
かかる名誉の仕事、我が家には勿体のう御座います。
この役目、亡き大王の寵臣の三輪君逆(さかし)に命ずるが、
もっとも相応しいと、私は存じます。
炊屋妃 ほう、それは何故。
馬子 三輪氏は大神(おおみわ)の神を祀る古来の豪族、その力なかなか侮れませぬ。
御仏を奉ずる我等にはけむたき存在なれど、大王に忠誠を捧げていた逆に殯宮の一切の権限を与えることによって、我等は彼の一族に恩を売ることが出来ましょう。
また、新しき宮でなく、亡き大王の殯宮に仕えさせることによって、御仏を信ずる我等は御仏を厭う旧豪族の一人を、朝議の席から少しく遠ざけることが出来ましょう。
その上、かかる名誉を独占すれば、他の豪族たち、あるいは皇子たちからもいらぬ嫉妬を受けましょう。欲や憎しみと同じく、嫉妬は人の心を鋭い刃物に変えまする。余計な嫉妬に曝されるは、頭の上に剣を吊下げるに同じこと。
炊屋妃 なるほど、さすがは大臣。
我が心、大臣の思う通りに。
馬子 有り難きお言葉。では次に、空になった大王位について。
炊屋妃 おお。
馬子 大后様は、どの皇子が次の大王に相応しいとお考えでしょうか。
炊屋妃 おお。よくぞ聞いてくれました、大臣よ。
亡き大王は仏法を嫌い、仏罰に当たってその政と御命を過たれた。
かかる過ちを繰り返さぬためにも、次の大王は仏法に心篤いものでなくてはならぬ。
そして勿論、もっとも正統な血筋と、力強き後盾がなくてはならぬ。
大臣よ、私はかかる条件にもっとも相応しい皇子として、
亡き大王と私、大后の子にして、第一の仏徒蘇我の血も流れている、
我が子竹田を大王に推したい。
是非にも、竹田を大王位に就けたいのだ。
馬子 …
炊屋妃 大臣、何故なにも応えてくれぬ。
馬子 大后様の御心、この大臣、十分に解りまする。
炊屋妃 おお、解ってくれるのなら、何故なにも応えてくれぬ。
馬子 竹田皇子様は立派な皇子。それはこの大臣、よく存じ上げておりまする。
しかし、如何せん皇子はまだ御歳十四才、
先の大王の正統の皇子という理由で竹田皇子様を大王に推せば、
同じく先の大王の正統の皇子にして、大王になってもおかしくない年齢に達している押坂彦人皇子を、
蘇我の血の入っておらぬあの皇子を、
仏法と蘇我に楯突く旧豪族たちはここぞとばかりに推してきましょう。
炊屋妃 ではどうすればよいと言うのだ。我が子は大王になれぬと申すのか。
馬子 いえ、大后様。押坂彦人皇子や旧豪族たちが文句を言えぬ御歳に、竹田皇子様がなるまで待てばよいので御座います。
炊屋妃 あと何年も王位を空にしておけと申すのか。
馬子 いえ、替りの大王を立てるので御座います。
炊屋妃 何と。
正統の竹田ではなく、むざむざと他の皇子を大王にせよと申すのか。
解せぬ。解せぬわ。
馬子 大后様の御心、この大臣、十分に解りまする。
しかし、もし強引に竹田皇子様を大王位に就け、不満を持った物部、中臣、三輪らの旧臣たちが一斉に謀反を起こせば、頭角を現わしてきたとはいえいまだ脆弱の蘇我一つの力では、とても竹田皇子様や大后様の御身を守り通すことなど出来ませぬ。
かかる謀反の口実を奴等に与えるよりも、ここは一歩譲って、押坂彦人皇子以外、蘇我の血の入っている皇子を大王位に就けておくほうが、今の我等にも、これからの我等にも、絶対に得策なので御座います。
炊屋妃 むむ。
では大臣は、一体誰を大王に推せと申すのじゃ。
馬子 血筋順位からいって、亡き大王の義弟にあたる二人、
大后様と同じく堅塩姫の御子橘豊日皇子か、もしくは小姉君の子、穴穂部皇子か。
炊屋妃 おお、せっかく我が子を大王に就けられるこの時に、
そのような二人から大王を選ばねばならぬとは。
穴穂部皇子は、以前から私に邪な心を寄せ続けてきた汚らわしき皇子。
邪な思いなれど、私を慕っているその心を憎からずとも思っていたが、
大王が病に倒れられた途端、
自分を次の大王に推せと、その本当の邪な心を現わした、
野心一辺倒の下賤の皇子よ。
橘豊日皇子は仏法を信ずる心篤く、病勝ちな我が同母弟。
彼自身に、私は何の遺恨ももちはせぬ。
しかしその后、穴穂部皇子の同母姉の穴穂部間人妃と、
その子厩戸の存在が、我と我が子には邪魔でならぬ。
竹田より年下で、最近ほとんど人前に姿を現さぬにもかかわらず、
聡慧利根の皇子よ、一を聞いて十を知る皇子よと、
専ら噂の厩戸が、
もし父の橘豊日皇子が大王になれば、
竹田を差し置いて皇太子の位に就いてしまうやもしれぬ。
ああ、かような二人の内から大王を推さねばならぬとは、
いくら大臣の道標とはいえ、私にとってあまりに酷い。
馬子 大后様の御心、この大臣、十分に解りまする。
しかし我が目、我が耳の知るところでは、厩戸皇子は仏法を熱心に信ずるあまり、皇子の座を捨てて法師になりたいと常々漏らし、その上、どうやら奇妙な病にかかっているとの密かな噂。その噂に賭けて病弱の同母弟君を推すか、あるいは野心胆力旺盛の穴穂部皇子を推すか、それは大后様の御心次第で御座います。
炊屋妃 ああ、酷い選択。どうしても竹田を推すこと叶いませぬのか。
馬子 それも大后様の御心次第。しかし、かような危うき道に、私はとても力添えすることは出来ませぬ。
炊屋妃 …
わかりました。
私とて左様に愚かな女ではない。
ここは大臣の道標に従いましょう。
馬子 有り難きお言葉。
しかし何も今すぐ決める必要は御座いません。
朝議の終わって後、ゆっくり御判断なさいませ。
−馬子、深く礼して辞去しかけるが、姿を消す寸前に振り返って言う。
馬子 そうそう、朝議での振る舞い方について、
差し出がましくも御指南させていただきましょう。
朝議では、御自分がもっとも尊き立場にあられることをゆめお忘れなく。
亡き大王の棺を背に、大后様は今まで大王の座って居られた座に就かれませ。
朝議では先ず、亡き大王の遺志にしたがい、大臣と大連は此度も留任との宣言を堂々となされませ。
それによって、大后様は以後亡き大王の代理人となることが出来まする。
そのあとは言葉言葉に尊厳をもって、滅多なことは口にせず、
最後の最後、朝議の最終決定を御自分が預かられるということだけ、
亡き大王の遺志を代弁するが如き威厳でもって宣言なされませ。
私は大后様の隣の、今まで大后様が御座りになっていた座に就き、
大后様の御言葉を代弁して差し上げまする。
何も心配はいりませぬ。あとは私にお任せ下されば、
竹田皇子様の将来は明るきものと思し召し下さりませ。
炊屋妃 わかりました。総て大臣に任せましょう。
馬子 有り難きお言葉。
−もう一度辞儀をし、馬子退場。
炊屋妃 (独白)橘豊日皇子か、穴穂部皇子か…。
されどやはり、我と我が子にとっては困難な選択。
我が心、いまだ迷い続ける。
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