第六篇「逃げさる女」(『消え去ったアルベルチーヌ』)


忘却


 



 プルーストは生前にこの小説の全巻の刊行を見たわけではない。「囚われの女」は彼の死後一年経って、この「逃げさる女」は死後三年経って刊行されたものである。初版において、この篇は「逃げさる女」ではなく「消え去ったアルベルチーヌ」という題で刊行された。しかし、プルーストの清書原稿にはこの題は設定されておらず、「逃げさる女」を題に選択しようとしていた痕跡があった。しかし「消え去ったアルベルチーヌ」という題で刊行されたのは「逃げさる女」という題が当時出版が予定されていたタゴールの仏訳書の題と重複するという理由からであった。
 この題はプレヤード旧版で「逃げさる女」に戻ったが、その後プルースト生前最後のタイプ原稿によるこの篇の縮小修正本が発見され、その編者が「消え去ったアルベルチーヌ」を題に選択したことにより以後の版はその題を採用している。私としては、その題よりも「逃げさる女」のほうがこの長編小説の構造上の意図(対なる二者の配置)に則しているし、ここで逃げさる(消え去る)という言葉がさすものはアルベルチーヌ自身であるよりも、むしろ《私》がアルベルチーヌに見出していた女だと考えるので、あえてここでは「逃げさる女」をメインタイトルとした。
 この篇は初版やプレヤード新版などでは四章構成で、第一章「悲しみと忘却」、第二章「フォルシュヴィル孃」、第三章「ヴェネチア滞在」、第四章「ロベール、・ド・サン=ルーの新しい側面」と分けられていたが今回底本としたフラマリオン版では章分けされていない。





 「アルベルチーヌ様はお発ちになりました」というフランソワーズの言葉は《私》の心にたちまち激しい苦しみを引き起こす。その苦しみは「いなくなってから恋人の重要さに気付く」といったロマンチックなものというよりは、彼女の存在がそれまで《私》に与えていた苦痛や欲望への抑止力といったものの喪失感によるものであった。アルベルチーヌの存在が邪魔をしていると感じていた欲望(他の女とのロマンス、ヴェネチア旅行など)は、彼女が邪魔をしていると思っていたからこそ魅力ある欲望だったのであり、彼女の不在を願うのは彼女が存在していればこそだったことに《私》は気付くのであった。
 そして、自分がイシアティブをとるつもりだった能動的な別離ではなく、彼女が突然去るという受動的な終末を《私》は次のように死と結び付けて考えるのである。


 アルベルチーヌがいて精神が安定していた私は、私の都合で調節できる別離のことしか思い描いておらず、それは日付もいつとは決まっていない、いはば存在しない時間に置かれていた別離なのであった。つまり、私はただ別離を考えているような錯覚をもっていたにすぎなかったのである-たとえば、人々が健康なときに死を考えても恐怖を抱かないのと同じで、その健康は死に近づけば必ず衰えるが、健康のただ中にあっては人々は死を否定する観念しかもちえないように。


 ここで死の恐怖を持ち出して破局の痛手を語るのはなかなか興味深いところである。この小説の今までにおいて、《私》は自分の恋愛について「映像を相手に投げ掛ける」という一つの本質を特に自覚してきたのであるが、ここでは死を連想することによって、はからずしも《私》が恋人のうちに自己実現の可能性を見出していたことが暴れるのである。
 先の「囚われの女」での恋愛についての考察において、恋人の存在は自分が「他者」のうちでありのままの自分として存在できるような可能(自己実現の可能性)をもっているということを述べた。だから失恋(自分が恋人に幻滅することによる能動的な別離ではなく、相手から突然捨てられる別離)とは一つの自己実現の可能性の消滅であり、自己の存在の根拠を揺るがすものなのであって、それはつまり、自己の存在をまったく無化してしまう死と似ているのである。
 自己の存在をまったく無化してしまう死、存在の根拠を揺るがす失恋、普通われわれは前者のもたらす恐怖や苦痛のほうが大きいと考えるかもしれないがそれは誤りである-とプルーストは言う。なぜなら、死はわれわれから苦しみの可能性をも奪うが、失恋はその苦しみを生きたまま味あわねばならないのであるから。
 恋愛において人は自分の生をいきいきと実感できるが、逆にその終わり(受動的な)は人に死に似た苦痛を味合わせるのである。もっとも、死がどんな感覚なのかはわれわれには知りえないが、失恋は生きている人間が唯一体験できる一つの死なのではないだろうか。





 《私》は一刻も早くアルベルチーヌと再会したいと思い、サン=ルーに頼んで彼女が帰ったと思われるトゥーレーヌのボンタン夫人のところに出向いてもらうことにする。アルベルチーヌ自身に帰ってくれと頼むのではなく、彼女には気付かれないようにボンタン夫人を買収工作することによって、《私》は自分の立場を弱めることなく彼女を取り戻そうと考えたのである。
 《私》はアルベルチーヌには絶対に気付かれないようにとサン=ルーに指示し、資料として彼女の写真を見せるが、その写真を見たサン=ルーは驚きの表情を浮かべる。(彼の驚きが「こんな女に苦しんでいるのか」というものなのか、彼女の過去を知っていたからなのか《私》にはわからないが、「ゲルマントの方」でラシェルを前にした《私》とサン=ルーの立場がここでは逆転しているのである・本書31ページ参照)

 しかしトゥーレーヌに出向いたサン=ルーはアルベルチーヌに見つかってしまい、計画は失敗に帰する。アルベルチーヌはそのことについて「回りくどいことをせずに直接手紙をくれれば喜んで帰ったでしょうに」と電報を打ってくるが、《私》はそれに対してむしろ別れを喜んでいると言うような返事の手紙を書く。それは復縁における自分の優位を守るためであり(《私》はこの別れが決定的なものではなく、アルベルチーヌの一種の示威行為のようなものだと考えることによって苦痛を和らげよとしていた)、また、その手紙の効果でアルベルチーヌが大急ぎて帰ってくるかもしれないと思ったからである。
 アルベルチーヌと《私》の間で何度か手紙がやり取りされる。そういったコミュニケーションの回復によって《私》は調子づき、二人の別れをより一層強調するような態度をとり、アンドレとの結婚の可能性までほのめかしたりする。しかし、彼女の不在の苦しみにとうとう耐えられなくなった《私》は自尊心をかなぐり捨て、どんな条件をつけてもいいから帰ってきて欲しいという哀願の電報を打つ。
 だがアルベルチーヌからではなく、ボンタン夫人からの返事の電報が《私》のもとに届く。それにはこのように書かれていた-「気の毒ながら、アルベルチーヌはもうこの世にはいません。彼女は遠乗中に落馬して死にました。どうしてあの子ではなく私が死ななかったのでしょう!」

 その電報の衝撃もさめやらぬうちに、《私》はアルベルチーヌからの二通の手紙を受け取る(死の直前に書かれたものだろう)。一通目にはアンドレとの結婚を祝福するといったことが書かれており、二通目には「私があなたの元に戻るのはもう無理なのでしょうか? もう一度私を受け入れてはくれませんか? あなたの指示に従います」ということが書かれていた。別離にイニシアティブをとることに失敗し、そして屈辱的ではあるが復縁の可能性が見えはじめたとたんに彼女が死んでしまう。こうして《私》の恋は決定的な痛手を被る。しかしその痛手のために、《私》のアルベルチーヌへの思いは急激に大きくなり、生きているときよりもいきいきと彼女のことを思いだすのであった。


 アルベルチーヌの死によって私の苦痛が失われてしまうためには、事故がトゥーレーヌで彼女を殺すだけでなく、私の心の中の彼女を殺すことも必要だったろう。ところが、今ほど彼女が心のなかで生きていることは一度もなかった。


 《私》はアルベルチーヌとの日々を思い返すが、彼が何よりも気になって仕方がなかったのが、果たして彼女に本当にゴモラの性癖がなかったのかということであった。
 《私》はバルベック・グランドホテルの給仕頭をしていたエメに頼んで、バルベック付近でのアルベルチーヌの行動について調査をしてもらうことにする。エメからもたらされた報告は、案の定、彼女がホテルのシャワー室でさまざまな女と関係を持っていたという事実だった。《私》は次にエメをシャーテルロー(本来ならトゥーレーヌであるはずだが、原稿の初期段階のものが訂正されなかったものと思われる)へ遣わして調査をさせるが、そこでもアルベルチーヌがクリーニング屋の娘と関係を持っていたこと、その娘の体にはアルベルチーヌが絶頂に達したときに付けた歯形が残っていたことが露見する。
 次々明らかになる事実は《私》を苦しめる。生きているときなら彼女はその事実を否定して《私》の心を安めてくれたろうが、死んだ彼女は次々と嘘や裏切りを重ねていくのだった。この苦痛が《私》の中にアルベルチーヌの記憶をありありと刻印するさまが次のように描かれる。


 私が祖母に与えたであろう苦しみのように、アルベルチーヌが私に与えた苦しみは彼女との最後の絆で、思い出などとは比べようもないほど長く生き延びた。すべて肉体的なもののもっているエネルギーの保存のおかげで、苦しみは記憶のもたらす教訓すら必要としないのである。そんなわけで、月光を浴びて森で過ごした美しい夜の思い出を忘れてしまった男も、そこでかかったリューマチには久しく苦しみ続けるのである。



 《私》の苦痛はこのようにしばらく続くが、ある日アンドレが訪ねてきたとき彼女と生前のアルベルチーヌが関係を持っていたのではないかと想像しても、《私》は自分に今までのような激しい嫉妬の感情がわいてこないことに気付くのだった。気付かぬうちにアルベルチーヌへの忘却が始まりだしていたのである。





 この篇の重要なテーマである「忘却」は、三つの段階を経て完成される。まず、第一段階は初冬のある日曜日に《私》がブローニュの森を散歩したときにおとずれる。
 ブローニュの森を散歩しているとき、《私》は森にたいして大変な魅力を感じる。はじめ《私》はその原因をアルベルチーヌとここを散歩したときの思い出によるものだと考え、それは自分がまだアルベルチーヌを愛しているためだと思うのだが、実は、それは彼女の思い出が忘却されはじめている証拠であり、忘却によって彼女の記憶がもたらす苦痛が徐々に変質しはじめていることに《私》は気付く。
 その散歩からの帰り《私》はブローニュの森でみかけた三人の娘が、自分の家のあるゲルマント邸から出てくるのを見る。そのうちの一人のブロンドの娘が自分のことをじろじろ見ていたことが気になった《私》は、門番に彼女らのことについて尋ねる。すると門番は彼女らがゲルマント公爵夫人を訪ねてきていたこと、彼女らの代表のブロンドの娘がデポルシュヴィル孃と名乗っていたことを教えてくれる。デポルシュヴィル孃が門番の言うように<Deporchevill>ではなく<d'Eporchevill>だと推測した《私》は以前サン=ルーがその様な名前の娘と娼家で出あって関係を持ったと話していたことを思いだし、彼女との接触の欲望を感じはじめる。《私》は今の自分が、少年時代とちがってジルベルトではなくデポルシュヴィル孃に対してとれる対策がどんなに増えていることかと考える。(名前の取り違えと、デポルシュヴィル孃とジルベルトの対比はこれから起こる二つの事件の伏線である)
 その翌々日、自分の原稿が新聞に載った《私》はゲルマント公爵夫人に感想を聞きにでかける。するとそこには例のブロンドの娘がいた。しかしデポルシュヴィルではなくフォルシュヴィル孃と紹介された彼女は《私》にこう言うのであった。「以前私を大変よくご存知だったのを覚えていらっしゃいませんか? 家にもおいでになりましたよ。あなたのお友達のジルベルトでございます」
 名前を二重に間違えられた彼女は、実はスワンの娘ジルベルトだったのである。スワンの死後オデットはフォルシュヴィル侯爵と再婚し、始めのうちスワン姓を名乗っていたジルベルトも反ユダヤ主義の風潮が高まってきたためにフォルシュヴィルの養女になってユダヤの名を捨てたのである。そしてまた、彼女は親戚が残した莫大な遺産によって大金持ちになってもいたのである。
 スワンの生前には彼の妻と娘に会うことを頑なに拒んできたゲルマント公爵夫人も、スワン亡き今ではもはや強情を張る楽しみが消えうせたため、態度を一変させてジルベルトを自宅に上がらせていたのであった。(この欲望のあり方は、アルベルチーヌを失った《私》が他の女やヴェネチアへの欲望を失ってしまったのと同じ種類のものである)
 デポルシュヴィル孃として欲望を感じていた女が実はジルベルトであったことは《私》にかき立てていた新しい欲望を奪いさるとともに、アルベルチーヌに関する回想の全一塊をも運び去ってしまったと《私》は感じたのであった。

 忘却の第二段階は六カ月後にアンドレが訪ねてきたときにおとずれる。その頃《私》となかば肉体関係を持っていたアンドレは《私》を苦しめようと、それまで否定しつづけていたアルベルチーヌとの過去の関係を暴露する。アンドレは自分とアルベルチーヌの関係のみならず、アルベルチーヌがモレルと組んで小娘を輪姦していたこと、《私》との同棲生活の間にもゴモラの関係を続けていたことまで暴露する。しかし、以前なら大いに《私》を苦しめたであろうその告白はもはや遅すぎた不幸であり、《私》の心に新しい苦痛を与えたりはしなかったのである。《私》はこのことによって、アルベルチーヌとの距離があまりにも遠くなったことに気付く。
 そして、《私》がアルベルチーヌに対して完全な無関心に近づいていると意識した三回目(忘却の第三段階)はアンドレの最後の訪問からかなり後、母とともに旅していたヴェネチアでであった。
 ヴェネチアでのある晩、《私》は一通の電報を受け取る。イタリアの局員のゆがんだ文字は読みづらく誤字だらけであったが、《私》はそれを次のように読むことが出きた-「親しい友、私が死んだとお思いでしょう。許してください。私はとても元気です。お会いして結婚のお話をしたいのです。いつお帰りになるのですか? 心をこめて。アルベルチーヌ」
 《私》のアルベルチーヌへの思いは甦るかと思われたが、しかし、《私》の精神には祖母の死について起きた現象とまったく逆の現象が起きる。
 祖母が死んだことを事実として知ったとき、《私》はまったく悲しみを感じなかった。しかし、二度目のバルベック滞在で記憶の間歇性が彼女を生きた人にしたとき(「心情の間歇」参照)、《私》祖母の死を本当の苦痛として感じるようになった。アルベルチーヌの場合はその逆で、《私》の心のなかで彼女が生きていない今となっては、彼女が生きているという知らせは《私》になんら喜びをもたらさなかったのである。





 しかし、ヴェネチアからの帰りに母は二通の手紙を、《私》は一通の手紙を受け取る。母が受け取った手紙は両方とも意外な結婚を伝えるものであった。一つはカンブルメール侯爵の息子とオロロン孃の結婚。オロロン孃とはモレルと婚約していたジュピアンの姪であり、モレルに捨てられた後シャルリュス男爵の養女となってゲルマント家のもつ名の一つを得ていた。そして、バルベックの地方貴族のカンブルメール家は皮肉にもチョッキ屋の姪を娶ることによって、ゲルマント家の一員に列することができたのである。
 もう一つはフォルシュヴィル孃(ジルベルト)とサン=ルーの結婚の知らせだった。スワン家の娘とゲルマント公爵夫妻の甥の結婚は、《私》にとってあらゆる意味で全く逆の方向だと感じられていた「スワン家の方」と「ゲルマントの方」を結び付けるものであって、プルーストが描いてきた対なる二者の最大の融合であり、この小説の一つのテーマを完結させるための重要な要素である。(そしてこれら二つの不釣り合いな結婚は、それまでの封建的な社会や社交界の黄昏を意味してもいるのである)
 
 《私》も受け取った手紙を開封する。その手紙はジルベルトからのものであり、自分とサン=ルーの結婚を伝えると同時に、そのことについて以前ヴェネチアに電報を打ったけれど返事が無かったと書いているのだった。つまり《私》がアルベルチーヌからの電報とばかり思っていたものは、実はジルベルトからのものだったのである。「花咲く乙女たちのかげに」でジルベルトからの手紙の署名のGという頭文字がAに見えた(本書22ページ参照)のと逆のことが、ここでは起こったのである。(それにしても何と遠大な伏線であろうか)
 そして、《私》は手紙の内容を読み違えた理由については次にように語る。


 ぼんやりした人、特に前もって手紙が来ると思い込んでいる人は、一つの語の中にどれだけの文字を読むのだろう、一つの語のなかでどれだけの語を読むのだろう。人は読みながら見当をつけ、勝手に作りだしているのである。すべては最初の錯覚に、端を発しているのである。それに続く錯覚は-これは単に手紙や電報の判読に限るものでなく、また、読むということに限定されるものでもないのだが-出発点を異にするものにはいかに奇妙な現象に見えようとも、ごく自然な現象なのである。われわれが頑固さと、それに負けない誠実さによって信じていることのほとんどは、最後の結論に至るまで、前提についての最初の思い違いに出発するのである。


 こうして心の中のアルベルチーヌは完全に死んだのだった。


 ∵


  しばらくして、ジルベルトが不幸だと聞いた《私》は彼女の住むタンソンヴィル(コンブレー近郊のスワン家の別荘地)に出かける。ジルベルトは他の女をおおっぴらに愛人にしている夫に裏切りを感じているが、実際はそれよりもひどく、サン=ルーは実はソドムの男になっていたのである(女の愛人はそのカモフラージュだった)。《私》はひょんなことからサン=ルーが以前シャルリュス男爵の恋人であったモレルを愛していることを知るのである。それまでのサン=ルーとの友情を思いだした《私》は涙がこぼれないよう精いっぱい努力せねばならないのだった。

 そして、このタンソンヴィル滞在がそのまま最終篇「見出された時」につづいてゆく。