04/10/8
「伊賀越道中双六」
鴈治郎・我當
国立劇場
「沼津」の悲劇性



 


日本三大仇討ち、一富士、二鷹、三なすび…」
という話を、円楽師匠だったか米朝師匠だったかが話されていた覚えがあります。
それはどういう意かと言うと、「一富士」が富士の裾野の鷹狩りで曽我兄弟の仇討ち、「二鷹」が播州浅野家の家紋(違い鷹の羽)で忠臣蔵、そして「三なすび」が茄子のへたのイガが伊賀、で、伊賀上野鍵屋の辻の仇討ち―という洒落です。
しかし昨今、「二鷹」以外の仇討ちの認知度は、さていかがなものでしょう。仇討ちにもはやり廃りがあるようで、歌舞伎の諸演目の根底にちらちら影が見え隠れする曽我兄弟はともかくも、なすびの「鍵屋の辻」は、私も今まで一度か二度、ドラマだったか映画だったかで見た遠い記憶があるだけです。
「伊賀越道中双六」 は、その鍵屋の辻、荒木又右衛門の仇討ち(正確には助太刀)の物語です。
しかし、多くの方にとって「伊賀越道中双六」といえば荒木又右衛門の名よりも、名作「沼津」の一幕の名が想起されることでしょう。
「伊賀越道中双六」=「沼津」といってもよいくらい、この一幕は傑作で、ほとんど「沼津」(しかも、その一幕には荒木又右衛門の姿も名も登場しない)一幕しか上演されないので、いかに「沼津」が名作であっても「鍵屋の辻」は流行らないという皮肉な運命となったのでしょう。

しかしさすがは国立劇場、あえてマイナーな全編を通し狂言で掛けることによって、今回、荒木又右衛門(役名では唐木政右衛門 )のささやかな復権と、「沼津」のより深い、物語全体に裏打ちされた凄味のある悲劇性があぶり出され、文学的な演劇論の見地からは「最上級」と言って過言ではない出来の公演が実現されていました。

「沼津」は東海道、静岡・沼津で雲助の平作と呉服屋十兵衛、生き別れの親子が再会するも、しかし、父・息子それぞれが本編「鍵屋の辻」の敵同士に義理があり、互いに名乗り合うことが出来ず、老父の平作が自らの命をかけて仇の居所を十兵衛から聞き出し、十兵衛も死にゆく父に語りかけるという建前で、悲壮な思いで物陰に隠れる妹に仇の居所を明かすという、それぞれ仇同士の武家に義理があるばっかりに、せっかく再会した実の親子がその喜びをも堪え、自らの死と父の死という代償によってそれぞれの義理を果たすという、悲惨、陰惨極まりない物語です。
なのにこの物語が悲惨劇に終始しないのは、露にすることは出来なくとも行動の端々に見え隠れする親子の愛があり、命を捨ててまで、また、実父が死にゆく姿を前にしてまでも情と義理の板挟みで苦悩するという、生々しい「切実な感情としての義理」があり、それが我々の心を打つからでしょう。

その「沼津」の、命がけの悲壮な義理立てと比べると、前半(前半は鴈治郎の立役・唐木政右衛門が主人公、後半は鴈治郎の和事・呉服屋十兵衛が主人公、見事なまでに対照的な二役)、政右衛門の武士としての義理立ては、それがいかに機知に富み、自らの名誉を捨てる感動的なものであったとしても、物語として、なんだか空々しく感じられます。
「饅頭娘の場」では、駆落ち婚をした政右衛門は義弟の仇討ちを助太刀する大義名分のため、駆落ちのため義父に勘当された妻に本意ならざる愛想尽かしをし、その一番下の妹、まだ年端も行かぬ幼女を妻として迎えます。
「奉書試合の場」では、大和郡山藩に仕官が決まりかけている剣の達人政右衛門、仕官が決まると義弟の仇討ちに同道できぬため、わざと御前試合で負ける、も、殿にそれを見破られ、殿と政右衛門、それぞれの男気によって政右衛門は仇討ちの旅に出発することが出来る―という義理と建前の物語が展開されます。
(ざっと筋を見ると本当に他愛のない、陳腐な前半の物語なのですが、芝居で見るとこれはこれで感動的で、鴈治郎の熱演は私の目頭を熱くさせる、素晴らしい力のあるものでした)

「政右衛門の義理立て」「十兵衛・平作の義理立て」それぞれを名優鴈治郎が素晴らしい二役で見せ、演劇としては両幕ともに非常に感動的なものでしたが、やはりその二つの「義理立て」の間には、性格の大きな隔たりがあります。
「政右衛門の義理立て」は仇討ちの本編、当事者であるにも関わらず、自らの行動に筋を通すための理由付けの建前論であり、「十兵衛・平作の義理立て」は、「仇討ち」という全体を貫く本筋からすれば末端の市井人であるにも関わらず、その大命題に呪縛され、命のやり取りを行う局面におかれてしまうというものです。

つまり、文学的なバランスの解釈として、「伊賀越道中双六」は本編『仇討ち』の一挿話としての「沼津」なのではなく、「沼津」の悲劇に集約する外周としての『仇討ち』なのであって、そう見ることによって、この「沼津」の悲劇性はギリシア古典悲劇に見られるような峻厳たる悲劇性(=偶然ではなく、自らどうすることも出来ぬ人智外の「運命」によってもたらされる悲劇)にも勝るとも劣らぬ悲劇性をもって、我々の前に姿を現すのです。
それは丁度、「仮名手本忠臣蔵」における本編『仇討ち』と五段目「勘平の悲劇」の関係と真逆の構造と言えるでしょう。
猟師勘平の悲劇はあくまでも塩冶浪人の仇討ちの物語の一挿話に過ぎぬレベルのもので、だから、勘平が誤って撃ち殺した斧定九郎が実は義父の仇であったことは単なる「偶然」であって、『仇討ち』が遠因となり勘平が死ぬこととなったとしても、それは『仇討ち』に本質的な意味で干渉することなく、単なる一挿話として、この五段目は完結しているのです。
それに比べて「沼津」は、十兵衛・平作の悲劇のやり取りによって、本編の『仇討ち』が完遂されるわけで、つまり、本編にとって「沼津」は最も重要な鍵であり、また、その呪縛があればこそ、十兵衛と平作の街道での出会いは「偶然」ではなく「運命」であるのです。

通し狂言で観ることによって明らかとなった「沼津」の文学的な悲劇性について、いささか熱弁し過ぎてしまいましたが、鴈治郎の二役の名演はいうまでもなく、「沼津」における鴈治郎の十兵衛、我當の平作の掛け合いは、芝居として大変素晴らしいものでした。
鴈治郎、我當の掛け合いは今年の大阪松竹座の正月公演「封印切り」でも見事でしたが、この二人の和事、生粋の大阪人でもほれぼれする上方言葉、やはりこの二人の競演は上方歌舞伎最高峰のコンビだと思います。
我當の平作は初演との事で、もう少し役の解釈に熟達があればなお…とも思いました(瀕死の場面で、十兵衛の台詞の時の「待ち」の演技にいささか逼迫感が欠けていたように見えました)が、そんな事はまったくの些事としても良いくらい、その他の場面全ての我當の演技、全体の出来、素晴らしい今シーズンの始まりの舞台でした。


 
 
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