| 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」 意味・価値のさまざまな転回 世界の流動性 |
||
第二篇は第一部「スワン夫人をめぐって」と第二部「土地の名、-土地」の二部構成である。「スワン夫人をめぐって」の冒頭には「人物の性格にもたらされる急変と方向転換。-ノルポワ侯爵。-ベルゴット。-私が一時ジルベルトに会うことをやめるいきさつ、ある別 離がひきおこす悲しみと、忘却の不規則な進行との、最初の軽い素描」という要約がつけられている。 第一部 スワン夫人をめぐって 物語は第一篇の第三部の続きである。相も変らずシャンゼリゼでジルベルトに会うことが何よりも楽しみな《私》は、ジルベルトに新年の休みにはシャンゼリゼに来れないと宣言され悲しみの沼に沈む。その失意を見かねた母は《私》が以前から崇拝している大女優ラ・ベルマの『フェードル』を聴きに行くことを許してくれる。フェードルについて丹念に研究し、期待に胸を膨らませつつ《私》は祖母とともに劇場に行くが、実物のラ・ベルマを見た《私》は「あれほど望んでいたたのしみがそんなに大きくなかったという失望」を感じる。(欲望と失望のモチーフ) 《私》がラ・ベルマに失望した夜、父の友人である元大使のノルポワ侯爵が彼の家に晩餐にやってくる。晩餐の話題で《私》はラ・ベルマに感じた失望をノルポワに語るが、ノルポワはラ・ベルマに対するごく一般 的な賛辞を滔々と語る。《私》は自分より慧眼であろうと思うノルポワの賛辞に、「やはりラ・ベルマは素晴らしいんだ。自分は失望なんかしていないんだ」と記憶を訂正する。また、《私》が文学指向であることも晩餐の話題にのぼるが、元外交官らしくノルポワは文学の素晴らしさを褒めそやし、《私》が文学の道に進むのもよいのではないかと言う。しかし、ノルポワは《私》がコンブレーで書いた散文詩を見せても無言で突き返したり、《私》が尊敬する作家ベルゴットの私生活に関するゴシップをおかしげに語ったりと、実際には《私》の文学に対する思いを殺ぐのであった。 ノルポワはスワンについても語る。オデットと結婚してから、スワンは以前の一流社交界人としての姿からは考えられぬ ほど凋落している。以前出入りしていた社交界とは付き合いが疎遠になり、高級官僚が訪ねてきたという程度のことを誇らしげに吹聴してまわるような、彼は「オデットの夫」にふさわしい男になりさがっていた。 《私》がノルポワにスワンの娘ジルベルトと付き合いがあること、面識はないが散歩中に見かけるスワン夫人(オデット)に大変好感をもっていることを告げると、彼はそのことをスワン夫人に伝えてくれると《私》に約束してくれる。もしかするとノルポワの口利きで憧れのスワン家に出入りできるのではないかと《私》は感激し、突然ノルポワに非常な好意を感じる。(しかし、ノルポワは社交辞令で言っているにすぎないのである) そして新年の休みになり、予告どうりジルベルトはシャンゼリゼにはやってこない。しかし《私》はどうしてもジルベルトに会いたいと思う。あえない日々によってジルベルトの記憶が徐々に薄れてゆき、そして、ふたたび彼女に会うことによって《私》のジルベルトへの思いはふくらんでゆく。そんな恋愛の機微が次の一文に描かれる。 愛する人を失いその悲しみの対象を思い浮かべる力がないと感じた人たちは、もう悲しみをもたないのだと自分をせめるようにさえなるのである。私も、ジルベルトの顔立ちが思い出せなかったので、もう彼女を忘れてしまったのだ、もう彼女を愛してはいないのだ、と信じそうになるのであった。 とうとう彼女はまた毎日のように遊びにやってきた、そしてぜひとも彼女にやってもらおう、ぜひとも彼女にたのもうと私がねがう新しい事柄を、あすのたのしみに私の前に置いてゆき、ほとんど毎日、そういう意味において、私の愛情から新しい一つの愛情をつくりあげるのであった。 しかし再会の喜びもつかの間、《私》はジルベルトから衝撃的な言葉を聞く。「あのね、あなたは私のパパやママの受けがよくないわよ!」甲高く笑いながら、ジルベルトは《私》に言ったのだった。スワン夫妻は彼をちんぴらだと思い、娘に悪い影響しか及ぼさない人物だと想像していたのである。《私》は誤解をとこうとスワンに宛てて十六枚にも及ぶ手紙を書くが、それは逆にスワンの心象をいっそう悪くするのだった。 後日、ジルベルトはシャンゼリゼにスワンから返却された手紙を持ってくる。彼女の肉体に激しくひきつけられる自分を感じた《私》は、彼女に手紙のとりあいっこを持ち掛け、肉体を接することによって快楽を味わおうとする。(全編を通 じて《私》は何度も遊戯にかこつけて快楽を味わおうとするが、その、「快楽それ自身を目指した快楽」ではなく「遊戯にエロチックな快楽を見出す」という方法は、肉体的なだけでなく精神的なエロチシズムを多分に含むものであり、それは「母犯し=禁忌破り」の延長線上にある精神的かつ幼児的な快楽の味わい方である) ∵ それからしばらくして、《私》は高熱を出してシャンゼリゼにいけなくなってしまう。かかりつけの医師は発作が起こったときはアルコールを飲むようにと指示するが、厳格な祖母からアルコールを飲む許可を得るために《私》は自分の発作を見せびらかすようにしなければならなかった。また、祖母のことを心から愛している《私》は自分の苦しみよりも祖母の悲しみを思いやって不安になるのだった。 しかし《私》の発作は治まらず、家人はコタール医師に来信を依頼する。コタールはアルコールを禁じ、牛乳を摂るように指示するが、家人はコタールの見立てを訝ってアルコール療法を続ける。だが症状が悪化したので、ためしにコタールの処方にしたがってみると《私》の体は恢復する。(くだらない俗物のコタールが実は医療に関して天賦の才能をもっていることが明らかになり、コタールの価値が転回する) 病床にあったころ、《私》は一通の手紙を受け取る。「装飾風に記されたGが、頭のないiの上に寄りかかってAのように見える」署名のその手紙はジルベルトからのものだった(GがAに見える署名というのは一つの伏線であり、その伏線は第六篇「逃げさる女」で使用される)。そのジルベルトからの手紙は、今までとはうって変わってスワン夫妻が《私》をスワン家に招待したいと考えていることを告げ、スワン家のお茶にやって来ないかと書かれていたのであった。このようにして、今まで道を閉ざされていたスワン家という「妖精の国」が、あらゆる予期に反して《私》に開かれたのである。 なぜスワン家の門が私に開かれたのか-それは次のような理由による。ノルポワが《私》のことをスワン夫人に話さなかったのに対して、コタールは《私》の友人でユダヤ人のブロックから《私》がスワン夫人に重く見られているという誤情報を聞き、スワン夫人の前で《私》のことを褒めれば自分の株が上がるだろうともくろみ、そして、スワン夫人に《私》のことを褒めそやしたのである。 このように、第二篇では色々な人物の価値が目まぐるしく変化する。-「投げかけられる意味・価値」の変貌は「失われた時を求めて」全編をとうして何度も描かれる一つのテーマである。スワンの凋落、ラ・ベルマの凋落、スワン夫人のサロンの台頭、ラシェルの台頭、そしてドレフュス事件による社交界の大転回など、社会的な価値の変貌から、「スワンの恋」や《私》の恋愛事件のような個人的な価値の変貌まで、実にさまざまな価値や意味の変化がおこる。 ∵ 《私》はスワン家において、ジルベルトはもちろん、スワン、スワン夫人、そして作家ベルゴットとまでも親しく付き合うことができ、この上ない幸せな日々を送る。しかし、ある日《私》の訪問によってジルベルトは楽しみにしていたダンスに行くことができなくなり、その事件から《私》は彼女に疎まれだす。《私》は何とかジルベルトと仲直りしようと画策するが、努力をすればするほど《私》の苦しみは深まる。《私》はシャンゼリゼを若い男と歩くジルベルトの姿を見て苦しんだりする。 しかし、彼女と会わぬ日がつづくことによって、ジルベルトとの幸福の日々の思い出は徐々に「忘却」されてゆくのだった。 第二部 「土地の名、-土地」 先にも述べたように、ここは第一篇第三部の「土地の名、-名」に対応する部分であり、実際のバルベックでの出来事が描かれる。 「スワン夫人をめぐって」でジルベルトと仲違いしてから二年の月日が流れ、もはやほとんどジルベルトに無関心になっていた《私》は祖母とフランソワーズとともにバルベックに旅行する。「土地の名、-名」のころに時刻表を見ながら夢想していた一時二十二分の汽車に乗って、《私》は実際のバルベックにやってくる。バルベックに到着すると、《私》はいつものごとく「欲望の距離感」から生じるずれによる失望を感じる。 また、この冒頭では「記憶の距離感」が時間の間歇性〔一定の間隔をおいて起こったりやんだりすること〕という言葉によって説明される(「失われた時を求めて」はもともと「心情の間歇」という題名であった。間歇的なものとしての時間・世界のとらえ方は、先に考察した「時間の距離感」と共通 する部分てある)。ここでは時間の間歇性を描いた一文を引いておく) しばしば私は(われわれの一生は年代順になっていることはめずらしく、月日の流れには時代錯誤がずいぶんたくさん入り込んでいるので)、昨日や一昨日よりもはるかに遠い日々、私がまだジルベルトを愛していた日々に生きていることがあった。そんなとき、もう彼女に会えないという気持ちが、その当時とそっくりに、私を急に苦痛に陥れるのだった。彼女を愛した自我が、すでに他の自我にほとんど完全にとってかわられているのに、その古い自我がふたたび現れてくるのだ。 バルベックでは、まるで幼児の世話をするように祖母が《私》の世話を焼いてくれる。ホテルで隣の部屋にいる祖母は、《私》が壁を三度ノックするといつも彼の部屋にやって来てくれるのだった。 《私》たちが宿泊するバルベック=グランドホテルにはエメと呼ばれる給仕長がおり(後に重要な役割を演じる)、また、田舎名士たちが貴族社会を気取った小さなグループを作ったりしている。知り合いのいないその土地で《私》たちは孤立して過ごすが、ある日、偶然にも祖母が女学校時代の友人ヴィルパリジ侯爵夫人と再会し、《私》たちは彼女とバルベックでの日々を過ごすことになる。その老婦人の存在は《私》にとって取り立てて魅力的なものではないが、彼女の親戚 のロベール・ド・サン=ルー侯爵がバルベックに来訪し(《私》はその美貌の貴公子と深い友情で結ばれるようになる)、また、彼の叔父シャルリュス男爵の登場によって、ヴィルパリジ侯爵夫人が実はあのゲルマント一族の人間であることが判明する。当然《私》にとってヴィルパリジ侯爵夫人の価値が大きく転回する。 ここから、《私》の「ゲルマントの方」との付き合いが徐々に始まる。 ∵ サン=ルーが叔父シャルリュス男爵の到着を楽しみに待っているころ、《私》はホテルのカジノの前で誰かに見つめられている視線を感じる。振り返るとそこには「非常に背の高い、かなりふとった、真っ黒な口ひげの、四十がらみの男」がおり、ズボンを細いステッキで神経質にたたきながら「注意をこめて見開かれた目」で《私》を見ていた。悟られたことに気が付いた男は「お前は人の注意をひくほど大した人間ではない、そんなお前をおれは見ていたのではない」というようなそぶりで《私》から目をそらす。 それから一時間後、《私》と祖母はさっきの男がサン=ルーとヴィルパリジ夫人と一緒にいるところに出会う。その男はヴィルパリジ夫人からシャルリュス男爵として紹介されるが、彼は《私》のことなど初めて見たというような無関心な様子を見せ、《私》には一言も言葉をかけずに離れてゆく。《私》はサン=ルーからシャルリュス男爵が高貴の生まれに固執する誇り高い人物であること、大公の称号も名乗れるのにあえてシャルリュス男爵(フランス一古い家名だという)を名乗っていること、そして彼があのスワンの大親友であることなどを聞かされる。しばらくして、サン=ルーとヴィルパリジ侯爵夫人が祖母に話しかけているとき、シャルリュス男爵はふと《私》に近寄り「今晩ヴィルパリジの部屋でお茶をするので、お祖母様といらしてください」と言う。 それがシャルリュス男爵の失礼な態度の埋め合わせなのだと了解した《私》は、その夜祖母とともにヴィルパリジ夫人の部屋に行くが、シャルリュス男爵は《私》たちを招待されていない、偶然に訪れた客のように迎える。疑問に思った《私》はシャルリュス男爵に質問するが、彼はまたしても《私》に一言も口をきかないのであった。 お茶が終わって《私》が部屋に帰ると、突然シャルリュス男爵がやってきて《私》が好きだと言っていた作家ベルゴットの本を貸してくれる。彼はそれまでとは打って変わった優しい調子で青春の素晴らしさについてしばし語るが、ふたたび冷ややかな声で「おやすみ」と言い放って部屋を出ていく。 翌日、シャルリュス男爵は《私》を口汚く罵ったり、急に本を返せと言ったり、返した本を再びプレゼントしてきたりと、奇妙な行動をみせてからバルベックを去ってゆくのだった。(彼の奇行の原因は後に明らかになる) ∵ それから、《私》とサン=ルーはユダヤ人の友人ブロック家の夕食に招かれたり、レストランで画家のエスチールと知りあいになったりする日々を過ごす。また、ある日サン=ルーに写 真を撮ってもらうために年がいもなくめかしこむ祖母に《私》は心無い言葉を投げ付け、祖母の心を傷つける。それからしばらくの間、《私》は祖母に避けらているような気がし、部屋の壁をノックしても祖母が来なくなるので悲しい思いをする。 そんなある日、《私》は堤防の上をわがもの顔で闊歩する、健康的で、若く、美しく、傲慢な感じのする五、六人の少女たちの一群を目にする。《私》は彼女らに非常な興味を覚える。 それらの少女たちのあいだの区別はやがてはっきりしてくるのであろうが、とにかくこのときはまったく限界なしであって、-彼女らの群を通 して、一種の調和をもった波動のようなもの、かたまって流れてゆく美の連続的移動が、こちらにつたわってくるだけなのであった。 少女たちの一群をしばらく観察しているうちに、《私》は混じりあっていた美の印象を個々の少女の面 影の上に分配したり整理したりできるようになる。また、《私》は彼女らを観察しているときに誰かが「あれはシモネの娘さんのお友達よ」というのを耳にし、シモネという名を少女たちと結び付けて心に刻み込む。(このようにして漠然とした美の印象は個別 的なものとなり、一つの名を通して《私》に新しい欲望を結晶させる) あくる日、《私》はバルベックの常連客にシモネの名について、例の少女たちについての情報を訊ねてまわるが、こたえは得られない。その日から《私》は彼女らが通 るのを心待ちにして堤防の上で時間を過ごすようになり、画家エスチールのアトリエ訪問まで延期して少女たちを待つ《私》を祖母は嘆かわしく思う。 少女たちと再び出会う機会のないまま、《私》は後ろ髪ひかれながらバルベックの外れのエスチールのアトリエを訪れる。しかし、そのアトリエの窓の外を例の少女の一人が通 りかかりエスチールに挨拶をする。彼女たちはエスチールの知り合いであったことが判明し、その少女の名がアルベルチーヌ・シモネであること、他の少女たちはアンドレ、ジゼル、ロズモンドなどという名であることがわかり、《私》は思いもよらぬ 進展に歓喜する。また、エスチールのアトリエで《私》は『ミス・サクリパン』と書かれたスワン夫人の肖像画を見つけ、エスチールが実はヴェルデュランのサロンに出入りしていたムッシュー・ピッシュというあだ名の画家であったことも判明する。 エスチールからアルベルチーヌに紹介してもらい、《私》は彼女をはじめとする少女の一群との付き合いを始める。そして《私》のアルベルチーヌに対する「第二の恋」が始まるが、アルベルチーヌはジルベルトにもまして気まぐれな少女で(彼女は孤児で、中産階級のボンタン家で育てられている)、ときには奔放な「バッカスの巫女」であり、ときには「育ちのいい娘」であるという性格をみせる。 彼女は「あなたが好きよ」と書いた紙を《私》に手渡したり、また、遊戯にかこつけて自分の手を握り続ける《私》に激怒したりと、《私》にはなかなか本心がわからない。 ある日、《私》が滞在しているホテルにアルベルチーヌが一人で泊まる用事ができ、彼女は《私》に「私がベットで夕食をとるときそばに来てもいいことよ、そのあとであなたのお好きなことをしてあそびましょう」と告げる。それをアルベルチーヌの誘惑だと受け取った《私》は、その夜彼女の部屋を訪れベットの上の彼女に飛びかろうとする。しかし、飛びかかろうとする《私》の姿を見てとったアルベルチーヌは力いっぱい呼び鈴を鳴らしたのだった。 ∵ しばらくしてアルベルチーヌは《私》の行為を赦してくれるが、以後なんの進展もないまま彼女は突然パリに帰ってしまう。そのうちシーズンが終わり、客たちが次々バルベックを去るなか《私》はしばらくのあいだ閑散としたバルベックに残る。 やがてパリに帰った《私》がバルベックに関して思いだす記憶は、カーテンを閉めきったホテルの部屋で病に伏せ、外から聞こえてくる音からアルベルチーヌや女友達の姿を思い描く自分の姿なのであった。 |
||